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父子二代によるコレクション

静嘉堂は、岩﨑彌之助(1851~1908 彌太郎の弟、三菱第二代社長)と岩﨑小彌太(1879~1945 三菱第四代社長)の父子二代によって設立され、国宝7点、重要文化財84点を含む、およそ20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)と6,500点の東洋古美術品を収蔵しています。静嘉堂の名称は中国の古典『詩経』の大雅、既酔編の「籩豆静嘉」(へんとうせいか)の句から採った彌之助の堂号で、祖先の霊前への供物が美しく整うとの意味です。

明治期の西欧文化偏重の世相の中で、軽視されがちであった東洋固有の文化財を愛惜し、その散亡を怖れた岩﨑彌之助により明治20年(1887)頃から本格的に収集が開始され、さらに小彌太によって拡充されました。彌之助の収集が絵画、彫刻、書跡、漆芸、茶道具、刀剣など広い分野にわたるのに対して、小彌太は、特に中国陶磁を系統的に集めている点が特色となっています。

文庫創設から美術館開館まで

図書を中心とする文庫は、彌之助の恩師であり、明治を代表する歴史学者、重野安繹(成齋 1827-1910)、次いで諸橋轍次(1883-1982)を文庫長に迎え、はじめは駿河台の岩崎家邸内、後に高輪邸(現在の開東閣)の別館に設けられ、継続して書籍の収集が行なわれました。
大正13年(1924)、小彌太は父の17回忌に当たり、J・コンドル設計の納骨堂の側に現在の文庫を建て図書を収蔵しました。そして、昭和15年(1940)、それらの貴重な図書を広く公開して研究者の利用に供し、わが国文化の向上に寄与するために、図書・建物・土地等の一切と基金とを寄付して財団法人静嘉堂を設立しました。

美術品は、昭和20年(1945)、小彌太逝去の後、その遺志によって、国宝・重要文化財を中心とする優品が孝子夫人から財団に寄贈され、昭和50年(1975)、孝子夫人の逝去に際し、同家に残されていた収蔵品の全てと鑑賞室等の施設が、岩﨑忠雄氏より寄贈されました。
1977年(昭和52年)より静嘉堂文庫展示館で美術品の一般公開を行ってきましたが、静嘉堂創設百周年に際して新館が建設され、1992年(平成4年)4月、静嘉堂文庫美術館が開館しました。世界に3点しか現存していない中国・南宋時代の国宝「曜変天目(稲葉天目)」をはじめとする所蔵品を、年間4~5回の展覧会でテーマ別に公開しています。(曜変天目は常設展示ではありません。展示期間については美術館までお問い合わせください)

岩﨑彌之助
岩﨑小彌太