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お知らせ

館長からのメッセージ~企画展示「超・日本刀入門」に寄せて~


日本刀は日本文化のすぐれた象徴です。おおやまとの美しい造形です。わが国工芸の精緻な手わざの結晶です。2017年の新春をことほぐ「超・日本刀入門」は、このような日本刀の魅力と美しさを、多くの方々に堪能していただきたいと念願し、われわれ静嘉堂文庫美術館が企画いたしました。ここにご披露する30振りの日本刀が、すべて我が館のコレクションであり、国宝1振り、重文8振りの指定品が当館で初めて勢ぞろいすることも、ちょっと自負の気持ちをこめて、ぜひお伝えしたいと思います。  これら30振りを含めて、120振りほどの日本刀が静嘉堂文庫美術館に所蔵されています。言うまでもなく、これらは静嘉堂文庫を創設した三菱第二代社長・岩﨑彌之助と、その子供である第四代社長・岩﨑小彌太によって集められたものです。岩﨑彌之助は三菱の創立者・岩崎彌太郎の弟です。この「超・日本刀入門」のサブタイトルに「サムライ・ビジネスマンが集めた日本刀」と謳ったのは、この岩崎家が土佐藩主・山内家の武士であったからです。

日本刀は日本独自の武具です。世界に誇るべき美術であり、工芸です。もちろん、その源泉は中国に求めることができます。日本美術のオリジンは、多く中国に発するのですが、日本刀も例外ではありません。しかし、平安時代以降わが国で創り出された日本刀――この特別展でご鑑賞いただくような日本刀は、すでに日本独自の美に昇華されているといって過言ではないでしょう。

中国の刀は本来直刀でした。その強い影響を受けたわが国の古墳時代や正倉院御物の刀が直刀であるのは、不思議でも何でもありません。しかし平安時代を迎えると、徐々に日本刀は反り、つまり微妙なカーブを身に帯びるようになり、彎刀が誕生します。それはきわめて高度な折り返し鍛錬法と焼き入れの技術が生み出す自然の美であったように思われます。あるいは騎馬戦が行われるようになった戦法の変化とも無関係ではないでしょう。

現在私たちが日本刀と聞くと、あの微妙な反りをまず思い浮かべますが、それを特徴とするフォルムが完成したのは、平安時代後期のことでした。まさに国風文化の時代でした。日本刀は王朝文化のなかで完成されたといってもよいでしょう。実に興味深いことです。そして重要なことは、その微妙なカーブを美しいと感じる美意識が醸成されていった事実です。おそらく両者は因果の関係に結ばれているのでしょう。

私は日本刀のカーブが、平仮名の美しいカーブと共鳴していることを、大変興味深く感じます。中国の直刀が漢字であるとすれば、日本刀は平仮名なのです。前者が益荒男ぶりであるとすれば、後者は手弱女ぶりだといってもよいでしょう。本来、律令官僚や公卿、武士[もののふ]が、つまり男性が身につけた武具を手弱女ぶりだというのは矛盾ですが、どうしても私にはそう感じられてしまうのです。
現代の手弱女たちが日本刀に興味をもち、それを愛するようになっている現象は、何と愉快なことでしょうか。それはともかく、日本美術を際立たせる美として反りがあることは、近現代日本を代表する名建築家・谷口吉郎が早く指摘するとおりなのです。

日本美の特質を一言で表現するならば、簡潔性に尽きる、英語を使うならばシンプリシティーに尽きるというのが私見です。簡素にして潔いのです。単純にして清潔なのです。そして看過できないのは、どんなに複雑な様式や構成や技術でも、簡潔に見せることを尊ぶ美意識が生まれたことです。これをも含めて、日本美術の簡潔性と私は呼びたいのです。

もしこれが認められるならば、日本刀こそ凝縮された簡潔性そのものだといってよいでしょう。そのフォルムはきわめて簡潔です。それを中国の青龍刀と比べてみれば、説明の要はないでしょう。しかしそれを鍛え上げる技術は、これまたきわめて複雑であり、その痕跡が刃文や映り、匂い、にえとなって、日本刀の見所になっています。その技術習得はたいへん難しく、何十年もかかるといいます。しかし、完成された日本刀は、そのような高度な技術や複雑な工程を微塵も感じされることなく、あくまで端整であり、清純であり、そして簡潔なのです。だからこそ、日本刀は日本文化のシンボリックな存在として、燦然たる光輝を放ち続けてきました。そして日本文化再評価という世界的潮流の中で、これからますます光り輝くことになるでしょう。

静嘉堂文庫美術館 館長
河野元昭